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2011年9月の1件の投稿

2011年9月22日 (木)

落合監督退任に想う

落合監督と近しく接触したのは、1回。
多分、小学6年の時 ロッテ対日ハムの
オープン戦が地元浜松であり、
近所のグランドホテル浜松にロッテの
選手が泊まっていた。
グランドホテル浜松は、まさに僕の通学路で 学校帰りに、ロッテの選手が歩いていたので、サインを貰った。
背番号6と書かれていた、家に帰って
選手名鑑を見ると落合博満。
まだ、落合監督が 何ひとつタイトルを取っておらず、レギュラーになったかならなかった頃かなあと思う。
ひょっとしたら、もう首位打者とった
後だったかもしれないが・・・

商談への移動中のTwitterで落合監督退任のニュースを知った。
落合監督が、体調不良か何かで自ら申し入れたんだろうと勝手に推測していたが、
事実は、今朝 オーナーから 来季契約しないことを告げらたとのこと。

野球を観なくなりだしたのは、
同じ歳の清原 桑田が光り輝いていた
19歳、
ちょうど彼女が出来て、女性に興味が移ったころだった。
怪しげな雰囲気なプロレスに惹かれ、
そこからストイックに向かう過程の
UWFに嵌っていったのも理由かもしれない。

再度 野球を見出したのは、8年前
ちょうど落合監督就任にピッタリ重なる
北海道での仕事から、東京への仕事に戻った時だった。

応援 再度し始めたのは、長男が幼稚園に入りキャッチボールしたいなあと思ったこと。
周りの取引先にドラゴンズファンが多かったこと。
そして、何より大きかったのは、
ドジャースモノマネユニフォームから、
僕が応援していたころの、CDマークを中心としたいでたちに変わったことが大きかった。

初年度 落合監督は、大きく戦力補給することなく、
選手 一人一人のポテンシャルを最大限に発揮させれば優勝出来る
みたいな発言をして、きっちり優勝した。

その当時の僕の仕事も、ある意味チームリーダーのような仕事をしており、
その通りだなと思った。
但し、何故だか僕の周りは 優秀な方ばかりだったのだけど。

僕は、ファンサービスについては 推奨すろところもあるんだけど、
落合監督の勝つことがファンサービスという一貫した姿勢には感心した。
また、最終的にな親会社にも甘んじない姿勢も一貫していた。
中日新聞での連載終了も含め、上記のことが影響しての解任だったのかなあ。
反落合の人がいたんだろうな。

但し、個人的には 今のドラゴンズの観客動員の落ちこみは、そのこととはあまり関係ないのではと思っている。
少なくとも、ナゴヤ球場時代よりは観客動員は多い訳で。
まあ、この件は ここ5年ぐらいの観客動員が答えを出してくれるだろう。


実力だけが、全てではない世の中で、
ガチンコのスポーツの中だけでは、
実力だけで勝負してつく状態にし、
世の中をスカッとさせてやろうと、落合監督は考えていたんじゃないかなあと、勝手に推測したりする。

深読みが必要なオレ流の短かめなコメントのない東京中日スポーツの購読は
今年の日本一までかなあと。
そして、球場にいくペースも少なくなっちゃうかなあ。

結局 サラリーマン社会と、落合監督が進めるガチンコ実力社会が好きだったのと、
人とは、違う自分の信念を貫く姿勢に憧れていたのかなあ。

でも、高木守道さんにも、小っちゃいころ沢山サイン貰ったので、応援はしまくりますけどね。
立浪さんの繋ぎという訳じゃなく
連覇 連覇で頑張って欲しい。

ススキノで個人的に大変世話になる2番センター谷木恭平さんが、
来季から、大学の監督が決まっていなければ、
コーチに入閣してたのかなあと思ったりもした。

今年の日本一までの試合でオレ流采配は、しばらく見納め。
しっかり追っかけて行きたいと思います。



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